都会で奇跡のやまびこ?

Hey! Say! JUMP、時たま関ジャニ∞

『コンパスローズ』の【なんとなく】に八乙女光くんを感じる

こんばんは。スマホのシステムアップデートが終わりません。ベリカです。

今回に関してはそのまんまです(笑)。これあとどのくらいかかるんだろう。

 

 

『smart』のアルバム初回盤を衝動的にポチって本日届きまして、特典DVDを観ていたんですが、有岡くんが歌詞の考察とかして欲しいと言っていたのでします。だって有岡くんが言うんだもん、するよ!(※裕翔担)

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とはいえ考察とかそんな高度なことは難しいので、あくまで私はこんな感じで聴いていまーす、ということでひとつ。別にこれが正解とかそういうことではもちろんのこと全くなくて、というかこの曲難しいんだもの(本音)。

 

 

最初に聴いた時から私の中でこの曲の肝は「なんとなく」というフレーズだったんだよなあ、と。薮くんもちらっと言っていたけども、あんまり使わない単語だと思う、歌詞では。だからこそ、最初に聴いた時からいい意味で引っかかったんだよね。「なんとなく」なのか、と。

 

私の中ではこの曲は思春期の、中学か高校生くらいの付き合いたてのカップル、いや付き合いたてですらないかもしれない、お互いに好き合っていてそれをお互い気付いてはいるけど、改まって付き合おうっていうのはちょっと恥ずかしいから流しつつ、でも一緒にいるよね、という感じ。周りはみんな2人が付き合っていると思っているけど、本人達は、え、でもそんな、まだ、ねえ、はっきり言われたわけでもないし、っていう。以前ツイッターに、映画館で見た光景というので、高校生くらいの男女がカップル割というのを見て、「まだ、違うよね」「違う、ね」とか照れていたというのが流れて来たのだけど、そんな感じのカップルなのね、あくまで私の中では。

 

>今君も同じことを考えているのかな 「帰りたくない」と

>夕日が沈み 星空が見えるまで なんとなく進んでいこう

 

と最初は思っている「僕」。

なんだけど、やっぱり僕としてはもう少しこの仲を進展させたいわけで

 

>大胆過ぎるくらいが良いのかな?

 

と迷い出して、そして言うわけよ。

 

>あと少し… 流れ星見えるまで そばにいてもいいよね?

 

個人的にここに、うおおおお!となるのよ。

「そばにいてもいいかな?」じゃなくて、「そばにいてもいいよね?」であることに。

いいかな、も、いいよね、も大人になるとそう大差ないように聞こえるかもしれないけれど、これが付き合うか付き合わないかくらいの距離のカップルにとってはめっっっっちゃくちゃ大きな違いがあるわけよ。だって言い換えたら、

そばにいてもいいかな? → 僕は君のことが好きです

そばにいてもいいよね? → 君は(君も)僕のことが好きだよね

になるわけ。

言い換えれば、君も僕のそばにいたいよね?、ってことだから。

すっごい遥か昔(笑)を思い出した時に、お互い好き合っているのは分かっているけどそれを口にするのは恥ずかしいという相手と遊びに行ったとして、「君は僕のこと好きでしょ」とか相手に言われたら、もちろんそれは事実なんだけど、事実だからこそ恥ずかしくてその場から走って逃げるかもしれない、と思う。

言葉にするというのは具現化する、明確な形にするということだから、それまで曖昧にしていたことがはっきり目の前に現れてしまうということでもあるわけね。そんな、自分の好きだという気持ちをまさにその好きな相手に具現化されたら、ぎゃあああああ恥ずかしいぃぃぃぃぃぃ、となるじゃないすか。少なくとも私はなったよ、遥か昔の子供の頃は。

 

で、ここが私の思う光くんの優しさだなというところなのだけど、「君」のそういうところも、そして僕のそういうところも一切否定しないんだよね、っていう。

勝手な想像だけど、おそらくそれまで楽しい雰囲気だったのに君が恥ずかしさで黙り込んじゃったりしてちょっとなんか微妙な空気になっちゃって、僕は僕で言わなきゃ良かったと思うし君は君で変な空気にしちゃったどうしよう、とお互い内心思っていたりするようなことも、きっとそういう色々なこともまるっと含めて

 

>楽じゃない でもきっと損でもないはずだろ

 

と歌っているのかなあ、と。

普通、楽だったら苦だったり、損だったら得が来ると思うのだけど、楽と損を使う辺りがまたいいよなあ、と思う。大変なこともいっぱいあるし思う通りに行かないことも多いけれど、でもそういう経験の全てが糧になるんだよ、と言っているようで。無駄じゃないんだよっていう。そういう、色々なことを否定しないところがいいなあ、と。

でもって。

 

>なんとなく一緒にいよう

 

これなのよこれ。最後に来る【なんとなく】ね!

なんとなく、って理由になっているようでなっていない言葉なんだよね。「なんとなく仕事休みたいんで休んでいいですか?」とか言ったら普通怒られるよ(笑)。でも、なんとなくが許される世界というか関係性があるんだよね。

当然ながら、「なんとなく一緒に」居られるのって相当限られた間柄なわけよ。これが例えば好きでも何でもない人に「なんとなく一緒にいようよ」とか言われたら断るでしょ(笑)。そんなん帰るよ。何で用事もないのに一緒に居なきゃいけないの、ってなると思うのね。

でも、この僕と君はお互い好き合っていてそばにいたい、一緒にいたいとお互いが思っている仲なわけで、でも ”何で” 一緒にいたいかということを明確にしてしまうのは恥ずかしい、だからこその「なんとなく」なんだと思っている。理由はぼやけさせるけど、でも一緒にはいたいから「なんとなく」一緒にいようよ、っていう。

だからすごくこの言葉に光くんの優しさを感じるんだよね。恥ずかしいよね分かるよ、だから明確にはしないよ、いいじゃん理由なんてどうでも、なんとなく一緒にいようよ、その方が『pleasure(楽しい)』でしょ、っていう。何ていうんだろう、何で出来ないんだ、とかじゃなくて、出来ないかーじゃあこういう方法はどうかな、って言ってくれているような感じ。

 

 

文章ってえてしてその人の性格が出るものだけど、エッセイとかの自分語りなものよりも完全創作物の方がよりその人が出る気がするし、光くんの書く詞ってどれも優しいんだよね。皆を肯定する優しさがある気がする。そういうところ好きなんだよなあ。

 

 

 

ところで、『コンパスローズ』とは全く関係ないんだけど、初回盤のDVDを観ていたらいきなりこれが目に入りましてね。

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ぎゃあああああ眼鏡ぇぇぇぇぇぇぇめっちゃカッコいいぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!

となったということだけ最後に書いて唐突に終わろうと思います。