都会で奇跡のやまびこ?

Hey! Say! JUMPと関ジャニ∞

映画『羊の木』がっつりネタバレあり感想

こんばんぬ すっかりご無沙汰 ベリカです。

気付いたら1ヶ月くらい書いていなかったということに今更気付いてびっくりよ。そういえばそろそろブログ書いたらどうよというメールがはてなから来ていたな。

ブログを書いていない間何をしていたかといえば何もしていなかったよね。単に長文を書く気力がなかったという。ツイッター140文字程度ならいけるのだけどブログとなるとそうもいかないしと思うと全然書けずじまいで気がつけば村上くんと薮くんのお誕生日も過ぎているし。書くこと考えていたのだけどなあ。ただそれを言ったら知念ちゃんと光くんのも書けていないし。そのうち、何ヶ月前のことだよ!というタイミングで書くかも。

 

 

さて本日は映画『羊の木』の感想なんぞを。現状5回観ているけども未だ分からない部分もあるし纏まっていない部分もある。ただとりあえず今思うことなどを。ただこの映画、100人が観たら200通りくらいの感想や考察が出るのだろうなと思った。なので読んでいやそうは思わないとかこれは違うとかあってもこいつはこう思ったんだなということでひとつ。ただ人様の感想はめっちゃ読みたいしなんなら鳥貴族で語りたい。

主に月末と宮腰の関係性について。

タイトルにもあるけれどがっつりネタバレしているのでご注意を。

 

 

まずは全体を通して。この映画は個人的には【居場所】がテーマなのだと思った。理髪店の福元の素性が店主にバレたシーンで月末が「(先に素性を明かすと福元の)居場所がなくなる可能性がある」と言っていたけれど、それは確実に6人ともそうなわけで、6人それぞれが魚深という町に定住できるかということなのだと思う。それこそ羊の木のように、その土地に根をはることが出来るか、という。

月末は生まれも育ちも魚深で、そしておそらく(というか追い出されない限り)魚深に骨を埋めるのだろうと思う。居場所が約束された月末と全く魚深には関係ないところからやってきた6人、という対比。

そして月末という人は魚深という町が好きなのだろうなと。全編通して月末から『本当はもっと違う場所に行きたいのだけど諸処の事情で出ることが出来ない』という雰囲気は全く感じられなかったし、何より最初の6人をそれぞれ迎えに行った時。「いいところですよ。人もいいし、魚も美味い」を月末は繰り返すけれど誰も反応を示さない中、最後の宮腰に「いいところですね」と言われて「いいところですよ。人もいいし、魚も美味いです」と月末が返すのだけど、それを言った直後、本当に一瞬なのだけど月末が誇らしげな顔になるのね。地元を、自分にとって愛着がある場所を褒められたことに対する嬉しさと誇らしさが本当に一瞬表情に出て、初回はそこに気付かなかったのだけど、ああだから月末はあれだけ色々なことがあってもこの町に残り続けるのだなということが理屈抜きに感じられた。いやもうほんっと錦戸くんの演技すげえ。

 

当たり前だけど人間はひとりでは生きていけないわけで、それは当然元殺人犯の6人にも当てはまるわけなのだけど、私が特に宮腰に対して感じたのは孤独だった。

おそらくというかほぼ確実にあの6人の中で一番罪の意識がないのが宮腰だと思う(次点で優香演じる太田)。罪の意識というか悪いことをしている(いた)という認識に関してはよっぽど釣り船の杉山の方があると思う。

宮腰にとっての殺人は作業に近いものなのではないかと私は思っていて、清掃センターに勤める栗本が海岸でゴミ拾いをしていたけれど感覚としてはあれに近いんじゃないかと。必要ないものをゴミ箱に捨てるという感覚。だからいいも悪いもない、人を殺すことが悪いことだとも思わないし逆に楽しいとも思わない。自分にとって要らないから捨てる。それだけ。

ただ当然ながらそんな人間はほぼほぼ皆無であって、おそらく刑務所にもいなかっただろうと思う。罪の意識にかられるか他人が出来ない事を出来てカッコいいと思うか大きく分ければどちらかだと思うし、どちらにしても殺人というものが何より重いものと認識している人ばかりだろう。

ただ宮腰に関してはそうではないわけで、ゴミを捨てることも人を殺すことも宮腰の中では一緒なのだと思う。そして宮腰の中ではそれが【普通】なわけで、殺人が重いものだということを宮腰は本当の意味では理解していないし出来ないのだろうとも思う。

けれど当然ながら殺人犯となれば周囲は皆去って行くし、おそらく親にも縁を切られたのだと思う。はっきりした年齢は明らかになっていないけれど30歳前後だろうしおそらく存命であろう親が身元引受人にならないのはそういうことなのだろうし。もしかしたら少年院の段階で親にも理解出来ないと匙を投げられたのかもしれない。

と考えた時、宮腰の中では【普通】のことをしているのに周囲は皆去り、同じように殺人を犯した人とすら分かり合えないという孤独感はずっと持っていたんじゃないかなと思っているのだけど、そんな中での月末の言葉よ。初対面で月末は宮腰に対して「同じ人間だし」と言った。宮腰にとってその言葉は本当に心から欲しているものだったんじゃないかと私は思っていて、だからこそ初対面でいきなり自分の罪状をべらべら喋ったんじゃないかとも思っている。さして罪の意識が無いというのもあるのだろうけれど、この人は自分の罪状を知っても同じ人間扱いしてくれると認識したのかなと。

 

そして宮腰は孤独だったのだと思うのだけど、月末もまた孤独感はあったのだろうなと思っている。ドラムの須藤との関係性を見るにつけ。それこそ学生時代の友人は皆結婚しているだろうし(ああいう田舎である程度の年齢になっても独身って悪目立ちするし)、月末の言葉にあったように「(須藤は)1年に3、4歳年を取る」のだろうし、そうなれば話も合わなくなるわけで、魚深という小さな狭い世界の中では月末もまた孤独を(本人がそれを意識していたかどうかは別として)感じていたのだと思う。バンドも高校卒業(か受験シーズン辺り)で一旦終わっただろうし文が魚深に戻るまで再開しなかっただろうし。だから単純に歳の近い宮腰が来てくれたことは嬉しかったのだろうな。

といっても別に歳が近いから仲良くなれるかといったらまた別の話であって、その辺りは本当に波長が合ったのだとも思っているけども。

 

ただ月末って市役所職員ということだからというわけではなく懐が広いというか色々なものを受け入れようとすることが出来る人なのだろうなという気はしている。というのも病院で太田が自分の罪を告白したシーン、月末は完全に引いているし理解出来ないという顔をしているのだけど、でも太田に対して言うんだよね。「しばらく親父とは会わないでください」と。これ普通なら「もう親父には会わないでください」と言うところだと思う。【しばらく】なんだ、と聞いた時はびっくりした。職場のこともあるから完全に会わないでいることは無理と判断したのかもしれないけれど(父親が退院したらまたあのデイケアセンターに戻るのだろうし、おそらく魚深にはあそこしかないのだろうし)、ただそう判断したとしても「仕事以外で関わらないでください」になるかなとも思うんだよなあ。話を聞いてドン引きした後に太田が仕事を辞めるわけにはいかないとか退院したらまた父親を預けないわけにはいかないとかあの短時間で色々一気に考えて「しばらく」になったとは考えにくいなと個人的には思っているのね。しばらくがどの程度なのかは分からないけれど、ただ完全にシャットアウトしようとしたわけではないのだなと思うと、例え元殺人犯であってもどこかで赦す気持ちはあるのだろうなと。

 

 

宮腰はこの魚深という町に根をはり定住したいと(おそらく月末に「同じ人間ですし」と言われたタイミングで)思ったのではないかと考えているのね。宮腰にとって殺人は作業のようなものだから(と思う)、しないで済むならしないというか、単純にゴミが出なければ捨てることもないという感じ。なのだけど、宮腰にとってのゴミ(杉山)が出て来てしまった。もしかしたら杉山であるとかかつて息子を殺された目黒であるとかがいなかったら宮腰は魚深で平和に暮らして根をはることが出来たのだろうかとも思ったけれど、でも生活していたら確実にゴミは出るから結局あの2人がいなくても変わらなかったのかもなとも思ったり。

 

ただ、宮腰の中では世間一般における大多数の人間が思う普通の生活に対する憧れは常にあったのだろうなと思う。言い換えれば孤独ではない生活。それこそ月末の家に行った時の「月末くんと同じ高校時代を過ごしてるみたい」という言葉であるとか。そしてここのポイントは「月末くんと」だと思っている。月末は自分と文のことを話しているから本来なら「月末くん達と」が正しいと思うのだけど宮腰は「月末くんと」と言ったんだよね。ここから推測するに、宮腰って文のポジションになりたかったのかなあ、と。別に恋愛感情云々ではなく月末に一番近くて一番の愛情(恋愛に限らず)を受けるポジション。だからベースではなくギターを選んだのかなと思うし、文と付き合ったのも疑似的に文のポジションになれるということだったのかもしれないと思う。少なくとも宮腰は文に恋愛感情があって付き合ったとは思えないんだよね。

そういや宮腰が月末の家に行った時の、宮腰は過去(高校時代)の叶えられない話をして、月末は「俺が(ギターを)教える」という未来の叶えられない(ということを月末は知らないけれど)話をしているという対比がね、気付いた時にふおおー、となった。あと「俺が教える」と言った時初めて月末は宮腰に対して「俺」と言うんだよね。それまでは父親以外には誰に対しても一人称「僕」なんだけど。最初に宮腰と岬に行った時は「僕泳ぎ苦手だから」と言っていて、その時はまだ市役所職員としての仮面を被っていた時だったんだよなあと思う。

 

クライマックスの岬のくだり、「どちらが助かるかのろろ様に決めてもらおう」と言って、その後「大丈夫。たぶん月末くん勝つよ」と宮腰が言うのだけど、私的にはそれは宮腰の願いのようにも聞こえた。月末に生き残って欲しい、という。

その前に宮腰が自分の罪について語るシーン、昨日も一昨日も人を殺した、と言った後、「たぶんこれからも」と言うんだよね。ただ宮腰には分かっていたはずで、このまま自分が生きれば確実に(宮腰にとっての)ゴミが出てくるわけで、それを捨てないわけにはいかないと。「たぶんこれからも(人を殺す)」と言ったけれど、宮腰の中でそれはたぶんではなく確実になんだと思う。確定事項としてこれからも人を殺すし、そういう自分を月末が許せない事も分かっているし、宮腰自身の判断でも月末の方が正しいと分かるし、だからこその「たぶん(と言っているけれど宮腰の中では確定事項として)月末くん勝つよ」なのだと私は思っているし、仮にもし宮腰が勝つような世界であるならばそれは宮腰にとって価値のない世界でもあるのだと思う。だってもし宮腰が生き残って月末が亡くなったとしたら、宮腰は唯一の自分の理解者を失うわけだから。

ただでも、宮腰は月末が賭けに勝つと分かっていた部分もあるのかなあとは思う。個人的には宮腰=のろろ(の生まれ変わり的存在)なのかなとも思っているので。

 

福元が上司の首を切って殺したりクリーニング店の大野がヤクザの首を絞めて殺したり、岬で宮腰が月末の首を絞めたりとやたら首にこだわるなと思ったのだけど、のろろの首から上が落ちて宮腰に被さるのを見てああなるほどと。間接的にのろろの首を切ったのは宮腰なのだと思うし、首を切ったことで宮腰はのろろに取り込まれたのかなと。

 

ところで羊の木の絵、何で羊は5匹なのだろうと思っていたのだけど、よくよく考えたらあれ本当は6匹いるんだよね。土の中に埋まっている種としての羊がいるわけで、そう考えると宮腰は死をもって魚深という町に根を下ろすことが出来たのかなという気もする。最初に岬に行った時に月末がいけにえの話をして「死体も上がらない」と言っていたけども、死体も上がらない(地面の中にある)からこそいずれ芽が出て木になるのかなとか。だからこその「DEATH IS NOT THE END」(死は終わりではない)のかなと思った。

そういえばエンドロール、ずっと真っ黒なのだけど主題歌のクレジットの辺りから光が差し込んでくる演出がたまらんかったね!

 

 

 

細かい話を少しばかり。

最初に福元と行ったラーメン屋でルーレット式おみくじ器があったことにうおっとなった。ちなみにこういうのね。

www.kitatamaomikuji.jp2018年だよ(撮影は2016年だしあの世界が何年なのかは知らないけれど)平成ももうすぐ終わるよという時に当たり前のように置いてあるのがね!私が子供の頃は喫茶店やレストランにちょこちょこ置いてあったけども(とか書くと歳がばれそうだけど)。なんかそれだけで片田舎でずーっとやっている店という感じがしてうおっとなった。

 

ラストのみかんを食べているシーンでは映らなかったので確認出来なかったのだけども、月末の父親ってずっと左手の薬指に指輪をしているんだよね。でも独り身だよね。どういうこと?、と思っていたのだけど、よくよく考えたら右手が麻痺しているのだから自分では指輪を外すことが出来ないんだよね。もちろん誰かに頼めば外せるのだろうけれど、頼む必要性を特に感じないということなのかな。

ということを考えると、月末の両親って父親が右手麻痺になったことがきっかけで離婚することになったのかなと。最初死別かと思っていたのだけど、月末の性格を考えると死別なら家に帰ってまず母親(の仏壇)に挨拶すると思うんだよね。離婚か死別かは一切描かれていないから推測の域を出ないけれど、麻痺する前なら指輪は外すんじゃないのかなあと思ったりした。

 

今更私が言うまでもないけれど錦戸くんの演技の素晴らしさね。最初から最後までずーっと月末だったもんなあ。相手に対して表情も声も微妙に変わるところがまたね。文に対してはちょっとだけ甘かったりとかね。

 

 

ラストの月末の表情にも色々考えさせられるところがあったりとか、何度観てもこれという答えが出ない映画だなとも思うわけなのだけど、錦戸くんのファンとしては錦戸くんがこの映画に出てくれたことが本当に良かったなと思う。実際ツイッターとかでもこの作品で錦戸くんの演技を初めて観たとか存在自体を初めて知ったという人が結構いたりするんだよね。映画館でも錦戸くんのファンと言うわけではないんだろうなと思う客層の多さであったりとか。なので吉田監督には感謝しかないよ本当に。

 

 

久々に長文書いて自分の文章の頭の悪さ加減に盛大に凹んだけど書いたからアップするよ。また次に観たら違う印象を抱くのかもしれないなと思いながら。