都会で奇跡のやまびこ?

Hey! Say! JUMPと関ジャニ∞

映画『羊の木』感想その3 

こんばんぬ すっかり春だ ベリカです

気が付いたら1か月以上ブログを放置していたことに気付いて自分でもびっくりだよ。書きたいことは色々あったのだけどなんとなく長文を書く気になれなくてずるずるきていたらもう3月終わりそうだし!びっくりだし!関ジャニ∞に関してはジャムの円盤が出てベストアルバムの発売もツアーも決まったし、生まれて初めてエイトさん達を生で観られるのかどっきどきな昨今ですよ。ところでJUMPの昨年ツアー円盤発売マダー?

 

 

どんだけ引きずっているのかと言われそうだし、上映している映画館も数えるほどしかなくなってしまったのだけど、どうしても自分の中で感想完結編として書きたいと思ったので今回また『羊の木』について書くよ。ちなみに本日現在で10回観賞。とはいえ平日に行ける映画館もなくなってきたのでイフオア同様10回で一区切りしようかなと思ってはいるけども(一緒にするなと怒られそうだけど)。

前に書いたことと違うことも書いたりするとは思うけれど、回数を重ねたことでこれってやっぱりこうだったのかなと思ったということでひとつ。

 

 

ここ2週ばかり行っていたのが、先週あった監督おひとりのティーチインと一昨日あった監督と松尾論さん(ドラムの須藤役)と市川実日子さん(栗本清美役)の3人での舞台挨拶。そこで色々な話が聞けて、特に監督のティーチインは何度も観た方による結構掘り下げた質問も多かったこともあって監督もそこまで話すんだという驚きもあって(単純に聞いたことに答えたということではあるのだけど)色々と興味深かった。

 

で、そのティーチインで出た質問のひとつに、のろろは神聖なものであるとか見ちゃいけないと言われていたのに最後引き上げられた時に皆が盛り上がったり写真を撮ったりしていたのはなぜか、というもの。それに対して監督は僕が思うことだけどという前置きをしつつ、「首が取れた時点で神聖なものではなくなってしまったということ」(※ニュアンス)とおっしゃっていて、それを聞いた瞬間色々なものが一気に繋がった気がした。

 

あの映画でずっと疑問だったのが、宮腰が魚深に来てからの3件の殺人事件をマスコミはどう報道したのか、ということ。

もし宮腰の名前が3人の殺人犯として全国的に報道された場合、当然その名前に覚えがある人はそれなりに存在するだろうし(目黒父のようにね)、少なくとも宮腰の名前で検索すれば(少年院の時はともかくとして)過剰防衛で実刑判決を受けたことはすぐ出てくるだろう。ということを考えた場合、宮腰が勤めていた宅配便会社が市を相手取って裁判を起こす可能性もゼロではないよね、と。だって宅配便会社にしてみれば市役所の要請だから(おそらく形式上の面接程度で)雇ったわけで、そんな相手が自社の車で殺人事件を起こしたとなれば風評含め被害は膨大になるわけで、しかもネットでちょっと調べれば元殺人犯なことはすぐに分かるから、仮に市役所が宮腰の過去を知らなかったと言い張ったところでいやいやネットで検索すればすぐ出るのにと言われてしまうよなと。そしてもし裁判を起こされたとしてそれが広まれば同じタイミングで移住してきた他の移住者にも疑いの目が向けられるだろうしそちらもネットで検索すればすぐ過去のことなど出てくるだろうし、6人の元殺人犯が同じタイミングで自分の住んでいる地域に移住してきたと気付いたらプロジェクト自体は知らなくても何か変だなと気付く人もいるかもしれない。

 

なのだけど、ただ宮腰は亡くなっているから(さすがにあれで実は生きていましたということはないと思うしそういう前提で話を進めるけども)被疑者死亡のまま書類送検されて不起訴処分になったのだと思う。不起訴処分って要するに無罪(というか有罪に出来ない)ということだから、形式上は無罪の、何もしていない(ということになっている)人間に対しては【個人情報保護の観点】から下手をすると宮腰の名前すら出さなかった(というか出せなかった)可能性もあるのか、と気付いた。

目黒父に関してはその前に海で亡くなった人が殺人事件ではなく心筋梗塞だったということがあったから報道が小さければすぐに皆の記憶から忘れ去られるだろうし、港での2件の殺害は目撃者がいないということで報道しなければ大半の人は知らないままだろうし、と考えると、宮腰の事件はほとんど報道されなかったという可能性もあるんだよなと。そうなれば魚深の人は何も知らないまま、そんな殺人事件があったことすら知らないまま過ごしていくのだよなあと思った。

 

 

岬で宮腰が「どちらかが消えるしかない」と言った後、月末が「また戻ってくればいい。待ってるから!」といった言葉に対して「分かってないなあ。どうせ死刑なんだから」と宮腰が言うのだけども、もし仮に宮腰が死刑を免れて20年後とかに保釈されたとした場合、果たして月末は「待って」いられるのだろうかと思った。

月末に待つ気持ちがあったとして、という前提で話を進めるけども、例え月末に魚深で待つ気があっても魚深の人達はそれを許したのだろうか、というね。

もちろん月末は課長の指示で動いていたわけだし(もっと言えば課長も市長の指示で動いていたわけだけど)、魚深の人達にとっては【月末が】働きかけて宮腰を魚深に招き入れたという印象にはなると思う。そして宮腰が生きていて警察に捕まった場合、確実に有罪になるからそれこそマスコミは大々的に報じるだろうし、そうなれば宮腰の過去含め魚深の人達はそれらを知ることになる。と考えると、そんな危険人物であり何年も殺人事件がなかったこの町で短期間に3人も殺した人間を招き入れた月末に対して魚深の住人はどう思うか、ということなのね。もちろん仕事だということは分かっているだろうし月末のせいではないことも頭では皆分かるだろうけれど、港にたまたまいて殺された人の遺族とかからしてみれば、町で月末を見かける度に許せなかったりやるせなかったりする気持ちにはなると思うし、もしかしたらあの課長からそれこそ他の地域の仕事と住居を斡旋されていたかもしれない。魚深での月末はそれまでの信頼出来る市役所職員から信用出来ない人に変わってしまうわけで、そんな中で月末はやっていけたのだろうか、と。小さな町で皆知り合いみたいなところはあるだろうし。

と考えると、例え宮腰が何十年後かに刑務所を出られたとしても月末はどこで待っているの?、という。宮腰も月末も生き残るということは、少なくとも魚深にはいられないということなんだよなと私は思う。

羊の木に成っている羊が5匹なのはなんでだろうと思っていたのだけど、もしかしたら生き残った元殺人犯4人と月末だったのかもなと今更ながら思ったり。木の種が宮腰で。

 

 

 ラストシーンの、のろろの頭が海から引き揚げられて皆が写真を撮るシーン、あのくだりが説明出来ないけどなにか怖いなとずっと思っていたのだけど、「神聖なものではなくなった」と監督がおっしゃっているのを聞いて、色々と腑に落ちた。のろろ祭りで町を練り歩いている途中で大雨が降ってあっさり中止した時もおもったのだけど、のろろという本来は神聖な守り神であったはずのものが次第に形骸化しているのだなと。

最初の方で港の死体が上がって、警察が「写真撮らないでください」と言っていたけども、のろろも最終的にそうなったのだなと思う。普通生きている全く知らない人に無遠慮にカメラを向けることはそうないけれど死体となったらカメラを向けるように、のろろもまた首が取れたことである種の死体となってしまったのだなと。

そして市役所に関して。仮に宮腰の事件がマスコミにはほとんど報道されなかったとして(プロジェクトには国家が絡んでいるからマスコミを抑えることくらいは可能だと思うんだよね)、魚深の人々は事件をほとんど知らないまま鎮静化したとしても、でもやっぱり何らかの違和感はそれぞれに残ると思うんだよね。明確には分からなくても、何かがおかしいと思う人は出てくるだろうし。歪みを抱えたままの市役所を前と同じように信用出来るかといったら難しいと思う。それこそ「人が肌で感じること」として。何かは分からないけれど騙されている気がする、といったような。

 

ということを考えると、あのラストシーンはのろろの守り神としての死であって、そして市役所の信頼の死でもあったのかなと思う。普段意識してはいないけれど役所を信用しているからそこに住み続けられるわけで、もし仮に全然信用出来ないとなれば個人情報を預けることも税金を払うことに対しても疑心暗鬼になるだろうし、可能であれば他の地域に引っ越すことも考えると思う。個人情報全部握られている役所を信じられないって相当恐ろしいことだと思うんだよね。

と考えるとキャッチコピーの『信じるか、疑うか』というのが本当にものすごい重みを感じるものだったんだなと気付く。対個人だけではなく信仰であるとか行政であるとかも絡んでくるのかなと。

あの映画は、その先が一番恐ろしいんだよなと観る度に思う。

 

 

 

そして最後に。私は映画を観ながら月末の孤独をずっと感じていた。先日の松尾さんや市川さんもいらした舞台挨拶で、須藤と月末が「田舎では一年に2歳年取るんだから」「お前は3、4歳だけどな」は2人でスナックに行った時の鉄板ネタっぽくやってくれという指示があったという話をされていて、月末ってスナック行くのか!という驚きがあったんだけど、よくよく考えたら大人になってからさして遊ぶところもなさそうだし女の子どうこうではなく単純に遊びに行こうとなったらそういうところになるのかなと。そう考えると須藤が結婚する前は2人だったり他の友達も含め行っていたのかもなと思う。

なんだけど、須藤も結婚したし子供も出来たということでスナックに行く機会は激減しただろうし、月末もひとりでスナックに行くようなタイプでもなさそうだし(個人的には下戸だと思っているんだけどどうなんだろう)、と考えると月末ってどんどん孤独になっていくんだよなあ、と。学生時代の友達は魚深を出るか結婚するかしただろうし、別に全然会わないとかではなくても生活環境が変われば夜飲み行こうとかもそうそう出来なくなるだろうし、だからといって新しい人が来るような土地でもないし、ということを考えると月末ってどんどん孤独になっていくのだよなあ、と思う。

とはいえ全くの孤独ではなくて、職場に行けば懐いてくれる後輩もいるし、連絡を取ればすぐ会える仲間もいるのだけど、もしかしたら月末本人も気付いていないようなうっすらとした孤独というか、よく分からないけれどずっと何かが埋まらないみたいなモヤモヤを抱えているのかなと思う。

そして錦戸くんがそういう具体的に説明出来ないようなもやもやとした孤独であるとか何かが足りないと思っている感じを出すのがものっっっっすごく上手い役者さんなんだよね。もしかしたら月末本人すら気付いてないような部分を気付いていないこと前提で演技として出すっていうのが出来る役者さんなんだよなあと。ということを考えると錦戸くんって本当にすげえ!となるんだよね。

 

 

錦戸くんのファンとして錦戸くんがいい映画に巡り合えて本当に良かったなと思うし、また次もいい作品に巡り合って欲しいし、とりあえずは従道さんが楽しみです!